懐かしいのは幸福だったから…?兄の手のノスタルジー

単純明快に言って、我が家は一家離散しています。

私が幼稚園に通っていた頃から、実に複雑な問題が山ほどありまして。

ただ親子間にも兄弟間にも、離婚してはいるけど夫婦間にも、憎しみはないし、絶縁には至っていないのが救いでしょうか。

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そんな訳で家族写真はかなり少なく、私の手元にあるのも数枚きり。

その中に、兄に手を引かれた2歳の私の写真があります。

季節は冬で、地面にはところどころに雪が見える。

おそらく、父方の祖母の家。

私はフワフワの白いクマ耳がついたフードをかぶって一生懸命歩いている。

紺色のコートを着た7歳の兄は、足元の覚束ない小さい妹を気遣うように見やり、しっかり手を繋いでいる。

二人ともカメラ目線ではなく、当時の日常を切り取ったような一枚です。

私にとってこの写真は、幼い頃の象徴みたいな存在で。

歳が少し離れているので兄はとても良く面倒を見てくれて、出掛ける時はいつも手を繋いでくれました。

私が小学校の高学年になると別々に暮らすことになるので、子どもの頃の兄のイメージは何よりこの頼りがいのある手。

先に立つ兄が「ほら」と振り返って差し出す手のイメージが、今でもずっと残っています。

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なぜ突然こんな思い出話をしているかと言うと、シンガポール旅行の画像を整理していて、ふと思い出したことがあるんです。

向こうに住んでいる兄に数年ぶりに会って、あちこち案内してもらった日。

一緒に公園を歩いていた時、私がちょっとつまずいてしまったんですね。

すると右側の少し前を歩いていた兄が、とっさに左手を差し出した。

リレーのバトンをもらう時みたいに、こちらに手の平を返して。

そのまま転びそうになったら、右手で兄の手を掴めるように。

実際私はすぐに体勢を立て直したし、兄も自然に手を戻したのですが…

その一瞬の「ほら」の手の形が強烈に懐かしくて、ちょっと泣きそうになってしまいました。

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小さい時はプロレス技とかの餌食になって理不尽に泣かされるけど、大きくなってふと気付くと兄が優しくなっている…っていうのが「兄妹あるある」らしいのですが、うちには当てはまりません。

5歳差だし、別々に暮らしていた期間が長いからかな。

二人とも祖母の家に預けられたけど、その後私だけ母と小さなアパートで暮らしたり。

私が祖母の家に戻った後すぐ、兄は大学進学で家を出て行ったり。

思えば30年近く生きてきて、トータルで10年も兄と一緒に暮らしたことがない。

だからこそ幼い頃の記憶が鮮明なのかもしれません。

一つの家族としては、その頃が一番幸せだったみたいだし。

半年に一度くらい、こんな風になんでもない場面を強烈に思い出しては言いようのない気持ちになって、部屋で一人、体育座りでお酒を呑んでしまうという…

今が不幸なわけでも、何かイヤなことがあったわけでもないんですけどね!

「懐かしい」は「切ない」に似ている気がするのは私だけでしょうか。

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でも過去を懐かしめるのは、そこに幸福があったからこそ!

こんな時はそう自分に言い聞かせて、家族に感謝するようにしています。

だって、ただただ辛くて地獄のような日々だったら、きっと思い出したくなくて、懐かしさで胸がいっぱいになんてなりませんよね。

遠くに行ってしまった何かを想って心臓がキューっとなること、皆さんにはありませんか?

なんだか今日はネクラ全開の文香でした。

明日からはもっとキラキラした記事を書く!

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